
私は、50代ですが、歳を重ねるごとに、「それは、違んじゃないですか?」とか「そこはまずいですね!」とか言ってくれる人がだんだん少なくなります。
今では、妻くらいしかいなくなりました(泣)。
私の妻のイメージ(笑)↓↓↓
会社のメンバーや取引先からも、「○○さん、そんなことしたら、駄目じゃないですか!」とか、「その意見は違うと思います!」のように、私に対して、助言してくれる人は、ほとんどいません。
それは、管理職だから、年上だからとか、先輩、上司だから、大事な取引先だからといった理由からです。
ですから、油断すると自分の考え方や行動について、客観視できる機会が若い時に比べ、圧倒的に少なくなってくるのです。
人というものは、自分が捉えているセルフイメージと他の人に映っている自分に対するイメージとのギャップが必ずあるわけで、その両方を把握できないと、どんどん自分本位になってしまうのです。
特に、年齢が上にいけばいくほど、そうなってしまいます。
いわゆる「裸の王様」になってしまうのです。
ですから、どの歳になろうが、自分のことに、苦言を呈してくれる人の存在は物凄く貴重なのです。
もちろん、自分の考えは必要ですから、人に言われたからといって、すべてを鵜呑みにして、なびいてしまうといった意味でないのは言うまでもありません。
しかし、「苦言を呈すこと」 と 「一方的に批判すること」とは、 似て非なるもの です。
「苦言を呈すこと」 とは、相手のことを思い、自分なりの意見を発することだと私は思っています。
そうすることで、新しい発見が生まれ、成長につながるのです。
つまり、自分にとって耳の痛いことをきちんと言ってもらえる人の存在を大切にすべきなのです。
その人の話に反発したり、自己正当化してしまい、言ってくれた相手に対し、論破してしまうこともあるでしょう。
そうすることで、言ってくれた人は、次回からはそういうことを本人の前では口に出さずとも、心の中にしまいこんだり、別の場所で陰口の対象にするようになります。
そうすると、人の意見を受け入れることのできない凝り固まった思考の人間になってしまいます。
これは、避けたいところです。
最近、メンバーの中で、私より年齢が20歳以上も下の女性から「○○さん、それの考え方、行動は全然違いますよ!
おかしいですよ!」と率直に言われ、「ガツーン」とやられました。
なかなか、何十歳も年上に、こういったことを率直に言える人はいません。
普通は、思っていたとしても、敢えて言わないことの方が多いのではないでしょうか?
だから、こういったことを言ってもらえる人は貴重かつ重要な存在なのです。
とても、ありがたい のです。
これを真摯に受け止めることで、自分の考えを改め、行動を軌道修正するきっかけとなりました。
こういう人を本当に大切にしなければいけません。
